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2013.6.8投稿記事②


日本人の信仰心

日本人は世界から見ると、非常に道徳的で高い信仰心を持った民族と考えられています。
特に、非ヨーロッパ民族の国で、イスラム圏を除いてキリスト教の普及率が最も低いのは、それだけ日本古来の宗教が強固であるという証拠だと考えられているのです。
そんなにも高い宗教心を持っていると思われている日本人自体が、自分は無宗教であると考えている人が多いことに驚きます。
でも、実は僕も、歴史や民族、特に先住民の世界や植民地の歴史を深く知るようになるまでは、自分のことを無宗教だと思っていた一人です。

日本は先進国中、英語の認識率が最も引くく、多くの日本人が英語を理解しません。
これは、日本人の強固な宗教心と密接に関係しています。
そして、これがゆえに、日本はアジアで唯一、欧米列強と本気で戦争をすることになったのです。

そもそも、日本は江戸時代、なぜ鎖国をしていたのでしょうか。
なぜキリスト教を禁止していたのでしょうか。
それを知るためには、なぜヨーロッパ諸国が諸外国に宣教師を派遣して、キリスト教を布教したのかを知る必要があります。

キリスト教徒は、過去にも何度も日本でのキリスト教の布教を試みましたが、別にキリスト教は日本だけに布教されたわけではありません。
実際、アマゾンの奥地であろうが、アフリカの砂漠地帯だろうが、アラスカの氷土だろうが、どこへでもキリスト教の宣教師は派遣されました。
それこそ、人の住むところならどこにでも。

宣教師たちは、なぜ世界中の国々にキリスト教を布教させようとしたのでしょうか。
歴史を知れば、その答えが分かります。

大航海時代になり、ヨーロッパ人が世界中に移動するようになり、他国の土地に入るようになったとき、そこの国では異なる民族が異なる言語を話し、異なる文化を持って生活していました。
そして、ヨーロッパ人はその土地やその国の財産が欲しいと考えました。
しかし、言葉も文化も違えば交渉が出来ません。
そこで、宣教師が送り込まれたのです。
多くの宣教師たちは布教のために外国に渡り、その国の言葉や文化を知って、その情報を本国に送りました。
本国では、その情報を元に、その国の攻略法を練り、そして実行していきました。
そのほうが、いきなり武力で進行するよりも、はるかに効率的だったのです。
何が効率的だったかですって?
そりゃ、植民地支配に決まっているでしょ!

キリスト教の普及率や、英語やスペイン語などの外国語の普及率は、諸外国の植民地支配の度合いを色濃く反映しています。
であるので、日本人は英語を理解する人が少なく、外国の宗教を受け入れる人が少ないのです。
それだけ自国の宗教、文化、民族の自決に誇りを持ち、民族を守るためなら戦うことも辞さない誇り高き民族であることを物語っているのです。
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2013.6.8投稿記事①


無宗教

多くの日本人は、自分は無宗教だと思っているようです。
でも、お葬式や法事、お盆のお墓参りにはお寺に出かけ、お経をあげてもらい、お正月は神社に行って初詣しています。
まあ、神道なのか、仏教なのか、自分はどっちなのかって迷うからなのかもしれません。
それに、どっちにしてもその宗教の教えを知らないのだから、信仰しているということにはならないと考えているのでしょう。

しかし外国人から見ると、日本ほど国民が良心的で道徳心が高く、社会が安全で安定している国は無いと思われています。
日本人はこのことを、もっと誇りに思っても良いのではないでしょうか。

僕は日頃から、アミニズム的自然崇拝を持っていると書いています。
アミニズムとは原初の宗教であり、信仰の基盤となるものです。
そして、日本人の多くはこのアミニズム的自然崇拝を、ここの信仰のベースに持っています。
ただ、そのことを自覚している日本人が少ないだけに過ぎません。

なぜ日本人は、自分のことを無宗教だと考えているのか。
実は、無宗教だと考えている人の大半は、無宗教ではなく、キリスト教的な一神教を信仰していないというだけに過ぎないのです。
これはどういうことなのでしょう。

多くの日本人は、宗教とは神がいて、教えがあって、教えを記した経典があって、宗教儀式があって、戒律があってそれを守ることが信仰を表現する手段だと思っています。
ですから、教えが無い、戒律が無いものは、宗教だと考えないようです。

しかし、それは単に西洋人がキリスト教を布教するときに、宗教とはそういうものだと洗脳したに過ぎません。
そして、そういういわゆる宗教としての型を備えていないものは、宗教に値せず、宗教を持たない人間は野蛮人であると洗脳したからに過ぎないのです。
これは西洋人がキリスト教の布教のために流布したプロパガンダに過ぎず、宗教とはそういう型がなければ存在しないというわけでは決してありません。

そして多くの日本人は、非常に高い道徳心を備えています。
その道徳心の元となるのが、アミニズム的自然崇拝なのです。

自然を崇め、人と人とのつながりを大切にし、和をもって尊しとする国民性は、高い宗教心の表れに他なりません。
ご飯をいただくとき、大自然の恵みに感謝して、「いただきます」という、その気持ちがアミニズム的自然崇拝を良く表しています。
そして、多くの日本人が自らの宗教心を信頼している限りは、日本は世界から尊敬される国で居続けることが出来るでしょう。

2013.3.19投稿記事③

サタンとは

サタンとは悪魔のことであり、ユダヤ教やキリスト教では神に対する敵のことを指し、イスラム教では人間に対する敵のことを指します。
僕は神にもサタンにも会ったことはありませんので、それぞれがどういうものか、想像もつかないのですが、そういったことを口走りたがる人は多数いるので、僕に見えないものが見える人が羨ましいなと思います。

さて、キリスト教ではイエス・キリストは神の子であり、精霊と、父なる神と三位一体であると説きます。
しかし、イエス・キリストは大工のヨセフの息子であり、預言者であり、人間であったという説もあります。

前者の説はアタナシウス派と呼ばれていて、後にカトリックと呼ばれるようになりました。
後者の説は、アリウス派といいます。
真実は一つですから、当然揉めますね。

ローマ帝国でキリスト教が国教になってからというもの、アリウス派とアタナシウス派の対立が激化したため、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世は325年、ニケーア公会議を開き、多数決でアタナシウス派が正当と公認しました。
そして、アリウス派は異端とされ、サタンの考えを持つ者として迫害されました。
これが、サタニズムです。

端的に言って、キリスト教内の派閥の多数派が少数派を攻撃するときに使われた言葉なのです。

ユダヤ教やキリスト教の初期におけるサタンは、他の宗教の神々(この時代はアミニズムが主流だったため)がサタンでした。
サタンを信仰する者をサタニズムといい、軽蔑していたのです。

しかし、憎しみは外部の者よりも内部の者により強く向かいがちです。
そのため、サタンとの戦いはキリスト教内部の血みどろの権力闘争へと繋がっていったのです。

というわけで、僕はアミニズム信仰ですから、正真正銘本物のサタン信仰者、すなわちサタニズムです。
ですから、僕はサタン信仰者だから、信心深い一神教の信者は近づかないでくださいね。









2013.2.4投稿記事①

東洋思想~仏教のルーツ

日本には仏教徒の方が多いでしょうから、一神教であるユダヤ教よりも仏教のルーツの方が興味深いかもしれません。
僕も熱心な仏教徒ですから、お正月にはきちんと初詣に行ったり、厄払いも受けてきました…って、それは神道かい!?

まあ、多くの日本人も似たようなものでしょうから、仏教がどうして興ったかを知ってみるのもなかなかオツなものです。

さて、仏教は今から約2500年前にインドで興りました。
開祖であるゴータマ・シッダールタは、シャカ族のプリンスでありましたが、現世の不条理さに絶望し、悟りを得るために出家しました。
きっと、うつだったのかもしれませんね。
シャカ族の王の息子という立場は、さぞかしヒマだったのでしょう。
人間ヒマになると、ろくなことを考えないものですから。

ゴータマ・シッダールタと書くのは面倒くさいので、これからは彼のことをブッダと呼びます。

ブッダが出家した理由、悟りを開くに至った経緯を理解する前に、当時のインドがどういうところだったのかを理解する必要があります。
インドはガンジス川沿いに興り、発展したガンジス文明から成った国です。
インダス川沿いのインダス文明というのもありますが、こっちは今回は割愛します。

ガンジス川沿いの土地は肥沃で、人々が定着して暮らすようになりました。
土地が肥沃なほど、そこで賄える人口も増えます。
そうして文明が出来、国が豊かになれば、それを狙って周囲から異民族(蛮族)が侵入してくるというのはどこの土地でも同じです。
インドでは色々あって、アーリア人が侵入し、支配階級となって国を作っていました。

循環型社会では土地から奪った作物の分だけ、栄養素を土地に戻す必要があること、その土地で賄える人口には上限があること、自然の摂理に従った生き方でしか人は生きていけないこと、などを以前書きましたね、覚えていらっしゃいますか?
そうした環境が、アミニズム的自然崇拝の宗教概念を生むことは、インドでも例外ではありませんでした。
そこに、アーリア人の支配が加わって、古代インド宗教(通称バラモン教)というのが出来上がりました。

バラモン教は今ではヒンドゥー教と呼ばれていますが、ヒンドゥーとはインドのことで、これすなわちインド教なわけなんですね。
道理で日本人でヒンドゥー教に改宗する人がほとんどいないわけだ。

アミニズム的自然崇拝では、人は大地から恵みを受け、その恵みで人や家畜を養い、人自身も死んだら大地に返り、大地が作物を育て…
という、自然循環の世界に生きていて、自然の摂理から逃れることができません。
ここから人の命は続くもの、死んだらまた別のものに生まれ変わり…という思想が生まれます。
これを輪廻といいます。
始まりも無ければ終わりも無い、輪廻はずっと続いていくものとされました。
この発想が、西洋の宗教思想と根本的に違うところです。

この輪廻の発想のを根本にして、それに支配階層であるアーリア人が自分たちの支配の正当性を盛り込んだのがバラモン教というわけです。
人は良い行いをすると、位の高い生き物に生まれ変わることができ、悪い行いをすると、位の低い生き物に生まれ変わるという発想です。
だから、支配階層であるアーリア人は、前世の行いが良いから生まれつき位の高い階層に生まれてきたのであり、奴隷は前世の行いが悪いから(これをカルマという)、生まれつき奴隷なのだという発想になりました。
このため、バラモン教は階級社会を支持する宗教であり、最上位がバラモン(僧侶)、次にクシャトリア(貴族)、バイシャ(商人)、シュードラ(奴隷)となります。
実際にはさらに細かい身分が分かれていて、それは生まれた家に固定の身分とされています。
人はそれぞれの身分で分相応の良い行い(善行)を積んで、来世にさらに良い階層に生まれるよう精進すべき、というのがバラモン教の考え方です。

身分制度自体は決して珍しいものではなく、当時は世界に共通の概念でしたし、チンパンジーやゴリラ、ライオンでさえも階級社会であることを考えると、バラモン教がことさらに特殊だったわけではありません。

ブッダは出家して(当然バラモン教の僧侶として)、修業を積みました。
当時のバラモン教の修業とは、苦行であり、苦行の目的は食欲の克服にありました。
どういう事かというと、国が平和で文明が栄えると、人口は増大し、食糧生産能力を超えるほど人口が増えると政情が不安定になり争いが起こるからです。
だからこそ、バラモン教の僧侶たちは食欲をコントロールすることで、食糧の奪い合いによる争いを避けようとしたのです。
食欲が人の争いを生むのだから、食欲をコントロールすることができれば争いが無くなる、という理屈でバラモン教の僧侶は苦行にいそしんでいたのでした。
うそ~、そんなこと習わなかったよ、というあなた、だから教えてあげているんです。
僕って、良い奴でしょう?

ブッダは厳しい修行(1週間に1度しか食事をとらないという苦行)を行っていました。
そして、菩提樹の木の下で空腹を克服しようと瞑想に耽っているうちに、倒れてしまいました。
そこに現れた地元の娘、スジャータ(コーヒーのスジャータの語源ですよ!)が、ヤギのミルクをブッダに差し出します。
それを飲んだブッダは悟りを開きました!

「ああ、人間は人間でいる限り、永遠に食欲を克服できない。克服できたときは死んだ時だ!」

…なんて当たり前のことを、って突っ込んじゃあいけません。
彼は彼なりに真剣に悟ったんですから。

そしてブッダは考えました。
人間は死ぬ苦しみ、病気の苦しみ、老いる苦しみ、そしてそれらがやがて訪れるという事を想像すると、生きていることさえ苦しいものだ。
そして、死んだらそこから逃れられるのかといえば、輪廻があるから、また何かに生まれ変わって同じ苦しみを受ける、というのが永遠に続くことこそが本当の恐怖であり、苦しみだ。
であるのなら、この苦しみから逃れるためには、自分という存在が肉体も霊魂も、完全に消滅しなければならない、すなわち、解脱しなくてはならない、と。

ここまで読んだ方、仏教には崇拝する神がいるんじゃないかって思いませんでした?
そうです、ブッダのオリジナルの考えでは、神など存在しません。
輪廻とカルマから逃れる術を悟ったに過ぎないのです。

さて、ちょうど時を同じくするころに、ジャイナ教という宗教も興りました。
こっちもバラモン教の修業から興ったことは、仏教と同じです。
ただし、ジャイナ教はバラモン教の僧が、修業を真面目にやらないことにいら立って起こした宗教です。
ジャイナ教では殺生こそが最大のカルマである、と考えました。
だから、より殺生をしない生き方をすることで、来世に徳の高い身分に生まれ変われることができると考えました。
自分の食欲のために生き物を殺すことをカルマと捉える生き方が、菜食主義を生みました。
そう、菜食主義とは完全に宗教上の理由で考えられたものだったのです。

でも、そんなに殺生をしないことにこだわったら、食べるもの無くなって餓死するんじゃない?って思いますよね。
そうなんです、ジャイナ教の最高の死に方は、餓死なんです。
ジャイナ教徒は餓死するために頑張って修行するのです。
そりゃあ、広まらないわな。

この東洋思想が理解できたなら、菜食主義の考え方も理解できるでしょう。

僕は解脱を目指しているかだって?
いえ、僕は解脱しない程度に徳を積んで、来世はもっとイケメンでお金持ちに生まれて美女に囲まれてウハウハしたいですね。
まあ、輪廻があるかどうか、それすら分かりませんが。









2013.1.25投稿記事②

一神教の起源

前回まで、自然とともに生きていた民族や集団は、自然に対する恐怖と畏敬から、アミニズム的宗教観を持つようになったと書きました。
日本の神道もその延長上の宗教であり、世界にはアミニズム的宗教観を持つ民族がまだまだ多く存在します。
これらアミニズム的、自然崇拝的宗教観の対極にある宗教が、一神教でしょう。
教義があり、教典があり、教祖がいて、信仰のルールが厳密に定められているという、宗教のイメージはこの一神教によってもたらされました。

そして、一神教のルーツといえば、やはりみなさんご存知の、ユダヤ教でしょう。
キリスト教はユダヤ教から分かれた宗教であることは有名ですね。
イスラム教も一神教を信仰する宗教として、発生した場所は違えどそのルーツを同じくしています。
キリスト教が今から約2000年ほど前に誕生してから、現在に至るまでに世界中の宗教に多大なる影響を及ぼし、普及し、発展したことは皆さんもご存知ですね。

これほどまでに世界中に今日も多大なる影響を及ぼし続ける、一神教とはいかなるものなのか?
これをいつものように思いっきり単純に、分かりやすく解説してみたいと思います。

ユダヤ教は今から約3300年ほど前に興りました。
当時ユダヤ人(12の部族からなるといわれている)たちは、エジプトに住んでいました。
しかし、彼らはエジプトでは少数民族であり、被差別民でした。
その状態に我慢できずに、ユダヤ人たちはエジプトを脱出し、パレスティーナの地にやってきます。
そこで、ユダヤ人の王朝を作りました。
しかし、バビロン捕囚やら、ローマ帝国によるディアスポラやで、ユダヤ人たちの永住の地はなかなか得られません。
エジプトを脱出してからの彼らは、まるで永遠のさすらい人のようです。

そんなユダヤ人たちは、自然と共存し、循環型社会で閉鎖的な社会を築く、という発想が得られませんでした。
周りの民族はみんな幸せそう、でも、自分たちは不幸。
そんな中で、自分たちは神に選ばれし特別な人間なんだ、という選民思想が芽生えました。
自然は調和するものではなく、神が我々に与えたものだと。
アミニズム的宗教観で、循環型社会を築いている集団は、その構成人員含め、家畜として我々選ばれた人間たちのために神が与えてくれたものだと。

いやいや、ちょっと待て、ユダヤ教の人たちはそんなこと考えていないよって!?
それなら、タルムードを読むと良いでしょう。
上っ面の一部ではなく、全部をね。

まあともかく、彼らユダヤ人は、自然と共存する社会を持つことができなかったから、そういう発想になったとしても無理はありません。
そして、自然と乖離し、完全に人間の創造による宗教というものをユダヤ人は発明したのでした。
これが、一神教の始まりです。

完全に自然と乖離した、人間の創造による宗教ですから、ルール作りは厳密に行われました。

アミニズム的宗教観では、細かい戒律など設けなくても、自然の摂理に反する行いをすれば、それは必ず自分たちに返ってきます。
人を増やし過ぎれば争いが起こるし、山を切り開けば土砂崩れや土壌流出、水源の枯渇などが起こりますし、自然はコントロールできない偉大なものというのは、どの民族も身に染みて知っていたからです。

しかし、完全な人間の創造による宗教では、自然の摂理の力は作用しません。
なので、自然の摂理に代わる強力な精神的支柱として、万能の神、唯一絶対の神、という存在が必要になったのです。
そして、全ての宗教的教義は言葉にされ、文書にされ、教典にまとめられました。
その教えに従わないものは、自然の摂理がそれを戒めることはしないので、代わりに地獄に落ち、永遠の苦しみを与えられるという脅し言葉に置き換えられました。

一神教は完全なる人間の創造であり、であるからこそ、教義が細かく規定され、それを伝える人間が必要になりました。
そう、専門の聖職者です。

アミニズム的宗教観では、元々専門の聖職者というものは存在していませんでした。
日本の神道でも、神事を行うための神主や巫女は存在しましたが、原初のころは神事のみ従事し、それ以外の時はそれぞれ自分の仕事を持っていたのが普通です。

教典を作り、専門の聖職者がそれを布教し、宗教行為を司る。
この、現在の宗教のルーツとなったのが、ユダヤ教なのです。









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