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2013.4.18投稿記事

植民地と壊血病

栄養欠乏、特にビタミン欠乏に伴う疾患は、日本では脚気が有名です。
これは今日ではビタミンB1欠乏によって起こることが知られています。
日本では古くから、白米を常食している人に発症し、多くの人の命を奪ってきた恐ろしい病気でした。
ところが、海外では脚気は非常にまれであり、めったに見られませんでした。

これは海外、特にヨーロッパなど西洋文明圏では、小麦やライ麦など、麦を主食にしていたからです。
麦は、精製しても比較的多くのビタミンB1が残るので、主食が白パンであっても脚気には通常なりません。
日本でも、日清・日露戦争時、帝国陸軍は白米を常食としていたため多数の脚気による死者を出したのに対し、帝国海軍は早くからパン食にしていたため、脚気による死者は一人も出なかったという事からも分かります。

海外で栄養欠乏による疾患として有名であり、猛威を振るった病気といえば、壊血病でしょう。
15世紀半ばから始まった大航海時代、長期航海とともに壊血病は流行しました。
船の上では新鮮な野菜や果物を摂ることができなかったため、ビタミンC欠乏により、壊血病となったのです。
死者も多く出て、長期航海においては深刻な疾患でした。

船の上ならビタミンC欠乏になるのは分かりますね。
でも、大航海時代の後、スペインやポルトガルに端を発する植民地時代となると、壊血病の猛威は植民地でも広がります。
カリブ海諸島や、中南米のプランテーションで働く奴隷たちを中心に、壊血病が流行したのです。

長期航海で新鮮な野菜や果物が手に入らないのならいざ知らず、なぜ植民地で壊血病が流行したのでしょうか。
これは、植民地での奴隷労働による大規模プランテーションと、モノカルチャーによります。

モノカルチャーとは、耕作可能な土地一面に同一の作物を栽培し、生産することです。
これゆえカリブ海諸島や中南米の地域は、一面サトウキビ畑になっていたのです。
その土地で生活している者の食糧の生産さえさせず、ひたすら世界商品である砂糖のためのサトウキビ畑にしてしまったのです。

人は砂糖だけでは生きていけませんし、そもそも奴隷に貴重な砂糖など与えるわけもありません。
そのため、奴隷に与える食料はもっぱら本国からの小麦や保存食品などでした。
これでは長期航海に出ている船員と食べているものが同じですね。
これが、植民地で壊血病が流行した理由です。

こういう歴史の教訓から、ビタミンの必要性が認識されるようになったのですが、それにしても歴史を学ぶと世界の厳しさを知ることができますね。






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2013.4.15投稿記事①

農耕の始まり

狩猟・採取で生活している人類が健康で、農耕を始めてから慢性疾患が起こるようになった、とするならば、なぜ農耕を始めたのかと気になりますね。
というわけで、農耕の開始とその理由について書きます。

農耕の始まりはメソポタミア文明やインダス文明、エジプト文明などで始まりました。
いわゆる4大文明(エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明)ですね。
これらの地は、いずれも土地が肥沃で気候が温暖で、人が定着するのに適した地です。
そのために、様々な民族がこの地を巡って争ってきました。

農耕はこの豊かな地を奪い合う中で起こりました。
農耕は食料の安定供給のために始まったのです。
農耕を行い、穀物を生産するようになることで、単位面積あたり狩猟・採取時代よりも50~60倍もの人間を養う事が可能になりました。
これによって文明を築き、他民族の侵略から土地を守ることができるようになったのです。
そして、これが国の始まりにもなりました。

しかし、良い事ばかりでもありません。
土地の所有という観念が生まれ、貧富の差が生まれました。
富を求めて争うようになったり、食糧が不足すると争いが起こるようにもなりました。

どんなに土地が肥沃でも、食糧生産を効率よく行っても、その土地で生産できる食料には限度があります。
そしてその食糧生産量を超えて人口が増加すれば、必ず争いが起こるのです。
農耕は文明社会の始まりでもあり、戦争社会の始まりでもあったのです。

農耕社会に生きる人間は、皆不健康になったかといえば、そういうわけでもありません。
その社会に属する人間の健康状態は、その社会環境に大きく依存しています。
狩猟・採取の社会では皆一様に健康なのに比べて、農耕社会ではその健康度合いに大きな差があるのです。

そして、日本においては農耕が始まったとされる約8000年前から現在までをみた場合、最も不健康な人間が多い時代というのが、まさにこの現代なのです。









2013.4.14投稿記事②

考古学と歯

昔の人の暮らしを考察するとき、考古学は大変参考になります。
人間を含む動物の骨は、比較的長期にわたってその形態を維持するために、その時代の健康状態を知る良い指標となります。

日本では稲作開始前と開始後とで、むし歯の罹患率が変化したと以前書きました。
農耕が始まる前の遺跡の人骨には、日本のみならず世界でも同様の様子が観察されます。
そして、現代においても完全な狩猟・採取のみで生活している原住民族にむし歯はみられません。

でも、人間の病気はむし歯だけではない、と思いますよね。
他の健康状態はどうだったのか。

骨格からの観察においては、狩猟・採取時代の人骨の方がより発達していて、しっかりとした骨格であったことが分かっています。
また、狩猟・採取時代の人骨は、推定60~70歳まで生きていたと思われるものも多く、古代人は意外と長生きだったようです。

基本的に、口は消化器官の入り口であり、口腔内の疾患は消化器官の疾患と捉えるべき性質のものです。
消化器官に起こる疾患の原因は、食べ物です。
食べるものに問題があるから消化器に疾患が起こってきます。
ですから、むし歯は歯磨きや歯科での定期検診とは関係が無いんですね。

ネイティブ・アメリカンはコロンブス以前は狩猟・採取の生活であり、やはりむし歯は全く見られませんでした。
何の民族であれ、人間であれば狩猟・採取の時代には慢性疾患が無かったとみてよいのです。

この事実こそが、食を考える上での出発点になります。






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2013.4.12投稿記事③

慢性疾患

慢性疾患や生活習慣病といわれる病気って、いつから人類の間で流行し始めたか知っていますか?
戦後?、文明が発展してから?元禄時代以降?
いえいえ、実はこれは、農耕が始まってからなんです。

人類は他の樹上生活を営む類人猿から、約700万年前に分かれたといわれています。
そして今の人類の直接の祖先であるホモ・サピエンスが現れたのが、約40万年前。
この頃は狩猟・採取で生活していて、肉食中心の雑食でした。

約16万年前より人類は火を使う事を覚え、食性が一気に広がり、特に植物性食品を広く摂るようになりました。

そして農耕が始まったのが今から約1万年前。
実は慢性疾患とか生活習慣病とかいわれるものは、ここから始まったんです。

農耕の始まりは、穀物の栽培でした。
イネ科の植物である、米や麦ですね。
気候帯によって適した栽培種が違い、熱帯や亜熱帯では米、温帯では温かいところから小麦、大麦、ライ麦、カラス麦などとなっていきます。

日本は亜熱帯のため、米が伝わりました。
北海道は温帯でしたから、米の栽培には向かず、そのため日本本土で米が広く栽培されるようになっても、北海道には長らく農耕は定着しませんでした。

そして、稲作が始まったばかりの縄文時代の遺跡から出土した人骨を比較すると、稲作の行われていない北海道の縄文人にはむし歯は全く見られず、稲作の行われていた本州の縄文人にはむし歯が認められています。
むし歯は典型的な慢性疾患で、生活習慣病です。
硬組織に出来る疾患のため、考古学では当時の住民の健康状態を知る、良い指標となっています。

こういうことも、食事指導を行うときには大切な知識なんですよ。









2013.1.19投稿記事

フランス革命の真実

今日は臨時休診になり暇なので、いつもより投稿が多くなっています。
暇な人は暇つぶしにどうぞ。

循環型社会では、土壌に含まれる栄養素の量が作物の収穫量を規定しています。
そして、作物を収穫し、作物に含まれる栄養素の分だけまた畑に栄養素を補充しないと、畑の地力はどんどん失われ、不毛の地になってしまいます。

昔は畑に施肥する肥料は、人糞や動物の糞、麦わらや腐葉土など、自然界の有機物を微生物が分解したものを用いていました。
循環型社会では、人を含む動物の排泄物は貴重な肥料だったのです。

土壌に含まれる栄養素のうち、最も消耗が激しく、また補充が困難なものは、窒素です。
空気中には約80%の窒素が存在します。
しかし、気体の窒素は三重結合によってしっかりと結びついており、不活性な物質です。
なので、この状態では動物も植物も利用することは出来ません。

この窒素の三重結合を切り、窒素単体で存在するようにすることを、窒素固定と呼びます。
固定された窒素の最も基本の形は、NH3、すなわちアンモニアです。
この、固定化された窒素の状態になって初めて植物は成長のための栄養素として利用できるのです。

そして、地球上に存在する固定窒素の量は、100年ほど前までは常にほぼ一定でした。
そして固定窒素の量が生命体を育む総量を規定し、人口の上限を規定していました。

時を戻して18世紀のフランス。
ヴェルサイユ宮殿はフランスの絶対王政の象徴の宮殿でしたが、その内部にはトイレが無いことは有名ですね。
このため、当時ヴェルサイユ宮殿に住んでいた人たちは、庭で用を足していたとか、おまるに用を足していたとか、色々いわれています。
実際はというと、おまるに用を足して、毎日それを回収していました。

なぜ下水を設けず、おまるだったのか?
それは、人間の糞尿を余すところ無く回収するためでした。
この時代、人糞は非常に貴重品だったからです。

18世紀の世界では、まだ世界中の農業は循環型で成り立っていました。
だからこそ、人糞は非常に貴重なものでした。
しかし、ヴェルサイユ宮殿のおまるから回収された人糞は、フランス国内の農地には、決して戻されることはありませんでした。

中国で6~7世紀ごろに発明されたといわれる黒色火薬は、14世紀にはヨーロッパに伝わり、銃火器の製造・開発が盛んになりました。
日本でも戦国時代に火縄銃が伝来すると、戦の様相が一変しましたが、そのルーツはヨーロッパにあったのです。

マスケット銃(日本式でいうところの火縄銃)の発明と航海術の発達により、ヨーロッパ諸国は世界中の新大陸に植民地争奪戦に出て行きました。
トルデシリャス条約後も、各国が殖民地の争奪戦を繰り広げていました。
軍事力が兵力ではなく、火力で示される時代になったのです。

さて、銃火器の主役は火薬ですが、黒色火薬の原料は、木炭と硫黄、硝酸カリウム(硝石)の三つです。
この内、硝石はもっとも貴重な天然資源であり、当然ヨーロッパ諸国は硝石争奪戦を始めます。
硝石は天然には存在する量が非常に少ないので、良質の鉱床はすぐに掘りつくされました。

硝石はKNO3で表されることからお分かりのように、その中心は固定化された窒素です。
地球上の固定化された窒素の総量は一定でしたね。
硝石は、畑に撒けば最高品質の肥料になるものだったのですが、彼らはそれを戦争の道具としてしか見ていませんでした。

そこでおまるの話に戻ります。
天然の硝石の鉱床が掘りつくされると、墓石の裏側にくっついている硝石や、家や納屋の床下にくっついている硝石を片っ端から掘り返し始めました。
アンモニアが蒸発するとき、土壁などにくっつくと硝石として結晶化するからです。

これを利用して、15世紀には硝石プランテーションと呼ばれる技術が開発されました。
これは、土壁で作った蔵のようなところに人糞や動物の糞尿を溜め込んでおくと、壁に徐々に硝石が結晶化してくることを利用した、硝石産出法です。

このためヨーロッパの各国は、家庭でおまるの使用を強制し、それを回収して硝石プランテーションに運ぶ、ということを大々的に行いました。
農家が自分の農場に使用するための堆肥も回収して、硝石作りのために利用しました。

この結果、フランスの農業はどうなったか、もう言わなくても分かるでしょう。

フランス革命の時、ギロチンにかけられ処刑されたマリー・アントワネットが、フランス革命前に民衆が貧困と食料難に陥った際、「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」と発言したことはあまりにも有名ですね。
どうしてフランスの民衆は貧困と食糧難に陥ったのか?

その理由を、ヴェルサイユ宮殿のおまるは教えてくれているのです。
「大自然の摂理に反する行為を人間が行ったとき、その報いは必ず人間自身に降りかかってくる」のだと。









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